広島高等裁判所岡山支部 昭和48年(う)124号 判決 1974年5月21日
被告人 景山信義
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人岡崎耕三の控訴の趣意は記録編綴の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
所論は、原判決は被告人が笠岡喬に当選を得させる目的で、景山松義ほか一〇名に対し、投票報酬として現金合計一万五、〇〇〇円を供与したとの事実を認定したが、これは明らかに事実誤認である。右景山松義ほか一〇名の者は、右候補者の選挙運動のために使用された労務者であって、選挙事務所に出向き、お茶汲みなどの労務に従事しており、被告人はこれらの者に労務の報酬として法定の額を支払ったものであるから、公職選挙法一九七条の二によって許される行為であり、被告人はそう信じて疑わなかったのである。被告人はじめ関係者らの捜査官に対する供述調書中には、本件金員の趣旨について疑念を抱きながら授受した旨の供述記載が存するが、これらはすべて捜査官による強制と誘導にもとづく不実の供述であり、証拠価値のないものである。原判決は重大な事実誤認をしているので破棄されるべきである、というにある。
よって記録を精査し、かつ当審における事実調の結果を参酌して検討するに、昭和四四年一二月二七日施行の原判示衆議院議員選挙に際し、岡山県第一区から笠岡喬が立候補し、同県遺族連盟は同人を推せん支持したものであること、同候補者の出納責任者明石深は同月二二日ころ同連盟事務局長野瀬順二に対し、遺族会関係者に支払うべき労務賃の前渡という名目で現金二〇万円を交付したこと、さらに野瀬順二は遺族連盟下部の各遺族会に対し、同よう労務賃という名目で右金員を細分配布したが、被告人は野瀬順二から同月二三日ころ、岡山市三門学区遺族会分として金一万五、〇〇〇円を受領したうえ、同学区内の会員に原判示のとおり配分したこと、その際右金員が労務賃として選挙事務所から支出されたものであることを告げ、同事務所から預かって来ていた領収書用紙に金員受領者の署名押印を求めたこと、被告人はこれらの領収書を取りまとめて同月二五日ころ前記遺族連盟事務局に差し出したこと、翌四五年一月六日同事務局長野瀬順二は右領収書をその他の書類、現金とともに岡山東警察署に任意提出し領置されたこと、出納責任者明石深は、同年三月九日岡山県選挙管理委員会に対し、選挙運動費用収支報告(第二回)をもって、労務賃として原判示金員を支出したものである旨報告したこと、が認められる。
所論は、右の如き金員支出、配布、報告等の外形的状況に加えて、金員を受領した者において労務に服した事実が存するのであるから、原判示金員は公職選挙法において支払うことを許された労務賃であると主張するのである。
選挙運動のために使用する労務者に対し報酬を支給することは公職選挙法一九七条の二によって認められているところである。しかし、同条所定の労務者に対する報酬の支払と認められるためには、単に出納責任者が所定の手続をふんで、所定の基準額の範囲内において支払い、その支払について領収書その他の書面を徴して後日に至り支出の事実を証明できるような方法をとり、かつその旨選挙管理委員会に報告しているという、支出についての形式的条件を備えているのみでは足りないのであって、支出を受けた者が労務者、すなわち自主的判断を用いることなく単なる機械的労務を行なう者であり、かつ現実に労務を提供しており、しかもその者の提供した労務に相応した対価でなければならないという実質的条件をも備えていることを要するものと解すべきである。けだし、このように解しない限り、公職選挙法が選挙運動に関する費用につき諸種の制限を加えている諸規定はほとんど無制約に等しいものとなり、選挙人および選挙運動者に対する買収等の行為を禁止した規定も空文と化してしまうことは多言を要しないからである。
本件において、被告人が供与したとされている金員が、労務に対する報酬であるかのような外形を一応備えていることは既に認定のとおりであるけれども、しかしその内実においては、到底労務に対する報酬とは認めがたいのである。すなわち、証拠によると、
一 昭和四四年一一月二七日、岡山市内の遺族会館会長室において、岡山市遺族連合会副会長会議が開催され、被告人も副会長の一人としてこれに出席し、席上笠岡喬を強力に支援すべきことが協議されたが、その際被告人は、「笠岡の運動をやれといっても金を出さんと誰れも動かんぞ、とびも物を見にやあまわらんというし、日当ぐらい用意しとかんと困るぞ、前にも金を出すというて出さなんだこともあるし、この前みたいに嘘をいうたら選挙もにぶるぞ」と発言し、これに対し県遺族連盟副会長であり岡山市遺族連合会副会長でもあった浅野富男は「笠岡も金がないからなかなかむつかしいと思うが公認にでもなれば、日当ぐらいの金はできるじゃろう」と応答したこと(二九九丁、四四〇丁、七二九丁、七四二丁、八三一丁)、そして告示前日の一二月六日同会館で開催された岡山市遺族連合会の各学区遺族会長、婦人部長会議において、被告人は議長をつとめ、席上岡山市遺族連合会としては笠岡喬一人にしぼって強力に支援することが決定されたが、その際前記浅野富男は「役員の人はできるだけ多く選挙事務所に出入りしてしっかり運動して欲しい、いつものとおり各分会に割当をするから人を出してもらいたい、割当表は後日送る、今回は日当ぐらいの金は用意するだろう」と発言し、選挙違反にならぬかと懸念する声もあったが同人は「ポスターの点検や、事務所での湯茶の接待をした日当ということで出しておけば、違反にはならん、正規の金ということで出せると述べた」こと(三〇二丁裏、四四一丁裏、八二九丁裏)、次いで同月一八、九日ごろ開催された岡山市遺族連合会副会長会議の席上でも被告人は「金を出すならそろそろ出さんと人が動かんぞ」と発言し、右浅野富男は「一学区一万円ぐらいの見当として大体二〇万円ぐらい出してもらえるだろう、選挙運動の報酬ということでは出せんので日当ということで出したら問題はない」と述べたこと(三〇九丁、四四四丁裏、八三七丁)、そして、終盤戦に入った同月二一日岡山市内の建設会館において、自由民主党園田直代議士を迎えて、遺族陳情大会が開かれたが、同会終了後同市内の市民会館における笠岡候補個人演説会場へ移動するに先立ち、右浅野富男は市遺族連合会の各学区会長を引き止めたうえ、右会長らに対し「笠岡さんは苦戦しており今一歩というところにある、一層頑張ってもらいたい」旨選挙運動を督励したうえ「かねてからいっていた日当が出ることになった、大学区で一五名以内、小学区で七名以内に対し一人金千円宛出すから、会長の方で名前を書き出して選挙事務所の方で受領してもらいたい、投票日までに領収書を取って精算してくれ」と指示し(三一一丁、四四八丁、八三八丁)、かつその旨笠岡候補の出納責任者明石深と、選挙運動者森正男に連絡したが、右森は遺族会の内情に通じておらず「こんな仕切りもないところで金の出し入れをして疑われてもいけないし、遺族のことは遺族でやってくれ」と金銭の受け渡しをためらった(一〇七丁裏、三二一丁裏)ため、岡山県遺族連盟事務局長野瀬順二に命じて右出納責任者から金二〇万円を一括受領させ、右野瀬が遺族会館において被告人に三門学区分として金一万五、〇〇〇円を手交し、また他の学区会長らにもそれぞれ配分したこと、
二 右のようにして浅野富男の要請により出納責任者明石深の手許より遺族会分として金二〇万円が野瀬順二に渡されたのであるが、その際野瀬は労務賃前渡金として受領する旨の領収書を右明石に渡している(六五丁)し、各学区会長に配分するに当っても必要な枚数の領収書用紙を同時に交付しているけれども、右浅野、野瀬、さらには被告人において、誰が、何時、どのような労務に従事したかを確認した形跡は証拠上認められず、右の者らが、労務の提供であるというところのポスターの点検、選挙事務所における作業などについても、浅野富男の証言によれば「一枚のポスターについて、何名かの人が毎日、日にち点検して廻ったでありましょうし、場合によっては特定の場所にある一枚のポスターを何十人の人が見てまわっておると考えている」(一五三丁)とか、選挙事務所における労務についてもその労務者の氏名、労務に服した日時、労務の内容、程度など全く点検しておらず(一五四丁裏)、野瀬順二によれば「労務提供の指示は各学区の責任者にしてありましたので、私は相手を信用して渡した」「どれだけの労務を提供したかを確認する必要もなく、また確認するひまがなかった」という(七〇丁裏)ものであること、そして、被告人自身においても原判示金員を手交した相手方が、何日に、何時間位選挙事務所で労務に従事したか等につき明確に記録しているとか、いないとかを決めて、金員を手交しているものであって、(七二七丁裏、七四八丁裏)被告人に命じられて一部配布した景山松義においても同よう労務内容等を確認していないこと(四二八丁裏、五六六丁)
三 被告人から金員を手交された原判示別表記載の一一名は、平井マサが岡山市石井学区遺族会の会員であるほかはいずれも岡山市三門学区遺族会の会員であり、そのうち、景山松義は被告人の息子、安原寿子は同会婦人部長であるが、これらの者はすべて自己が提供したという労務の内容を個別具体的に明確にすることができず、それぞれ異口同音にポスターを点検したとか、選挙事務所で来客の接待をしたというけれども、その服したという労務の内容程度は至って漠然としたものであって、さほどとりたてていう程のものとは認められない。すなわち、景山松義は一二月七日の選挙事務所開きに出席し、机の運搬などの雑用をし、翌八日も同事務所で候補者の行動日程表を封筒に入れる作業を手伝い、同月一二日ころは学区内の選挙ポスター掲示場を見てまわったほか、学区内の遺族会員に連絡して廻ったことが二、三回あるという程度であり(五五八丁以下)、竹田繁は何もしておらず(五七一丁裏)、安原寿子は五、六回選挙事務所に出たがお茶汲みの手伝をした程度で、むしろ労務に服したというよりは電話による選挙運動をしており(五七四丁裏)、大橋君子は選挙事務所に一度行ったがお茶汲みの手伝をした程度で午後二時ころ帰ったといい(五八五丁)、平井マサは一日おきくらいに選挙事務所に行ってお茶の接待をしたり、ポスターの点検もしたけれども奉仕のつもりであるといって(五九〇丁裏、五九二丁、五九五丁裏)労務者として使用されたという考えはないし、同女の場合は石井学区会長藤井健次郎からも同よう二、〇〇〇円を受け取っていることが認められ(五九三丁)河合正二、景山義治、熊良一はいずれも選挙ポスターを点検して廻ったとはいえ、日当をもらうほどのことをしたとは思っておらず(五九八丁裏、五九九丁裏、六〇二丁、六四八丁)、田中冨喜子は午前一一時ころから午後三時ころまでと、午前中一時間位の二回選挙事務所に行ってお茶汲みの手伝をした程度であり(六五一丁裏)、野田逸子は午前一〇時ころから午後二時ころまで選挙事務所にいて、湯呑茶わんを洗った程度といい(六〇六丁裏)枯木コトヨも同よう程度であって(六五六丁裏)、このように選挙事務所に出むいた者にあっても、もっぱら労務に服するためというより、むしろ同事務所の空気を活気あるものにするため割当によって動員されて詰めていたものであって、それ自体選挙運動とみられる一面を併有しているといわざるをえず、その間においてお茶汲み、接待等の行為や、ポスターの点検などがあったとはいえ、他に選挙運動のために使用する事務員もいたのであるから、労務賃支給の対象となりうる程度のものではなく、各人いずれも労務賃が支給されるものとは予想しておらず、かつそれ程の労務をしたとは認識していないのみか、受領した金員が笠岡喬候補に対する投票等依頼の趣旨で供与されるものであることを認識していたと認められること、
四 前記野瀬順二、浅野富男、さらに被告人は、本件各金員が労務賃として支給されているけれども、それは単なる名目であって、実質は遺族会内部の票を固めるための投票依頼の趣旨であることを認識していたこと(二三四丁、三三八丁、八三五丁裏)
等の事実が認められるのである。右認定に反する野瀬順二、浅野富男、および原判示受供与者らの原審公判廷における証言、および被告人の供述は、右認定事実と対比して到底たやすく信用することができないのである。しかして、右のような本件金員の支給が決定し実行された間における遺族会内部の経緯、被告人を含めた関係者らの言動、金員授受当事者の授受金員の趣旨についての認識、労務賃の対象となる労務内容が僅少かつ漠然としていること、等を総合すると、本件の金員は、出納責任者から法定選挙費用内の労務賃の名目で支出され、かつそのように事務処理されているけれども、到底労務賃とみることはできないのであって、原判決認定のとおり笠岡喬候補の当選を得しめる目的で、投票および投票取りまとめなどの選挙運動を依頼した報酬として授受されたものであり、労務賃というのは単なる名目にすぎないといわざるを得ない。本件金員が公職選挙法によって支給することを許された労務賃であるとは到底いいえず、この点に関する所論は理由がない。
所論はさらに、被告人はじめ関係者らの捜査官に対する供述調書につき、その任意性、真実性につき疑いがあり、証拠価値がないとも主張する。しかし、本件金員の受供与者らの原審公判廷における各証言をみると、景山松義は、検察官に対する供述調書の内容に間違いのないことを確認して署名したといい(四三二丁)、竹田繁の証言内容は、その検察官に対する供述調書の内容と大綱において合致しており、安原寿子は検察官調書作成の際「納得のいかないところがあったから書き直してもらったと」いい(四八五丁)、平井マサは「述べたとおり書いてくれたと思う」といい(四九七丁裏)、大橋君子は「本当のことを述べた」という(五一〇丁裏)ほか、河合正二、景山義治、野田逸子にあっては取調が強制ないし誘導にわたったようなことは全く述べておらず、熊良一、田中冨喜子、枯木コトヨにあっては無理な調べを受けたことはないと証言している(六二四丁、六三二丁、六四〇丁)のである。また、その他の関係者のうち野瀬順二、浅野富男の検察官に対する各供述調書については証人難波正行の原審公判廷における証言によって任意性が認められるほか、被告人の供述内容とも合致していて真実性を疑うべきふしは全くなく、殊に浅野富男にあっては供述調書の記載内容につき訂正を申出ている形跡もある(二八四丁、三一五丁)のである。さらに、妹尾清一郎の検察官に対する供述調書も同人の原審公判廷における証言と対比してその内容の真実性につき格別疑うべき点は認めがたいし、最後に被告人自身は身柄を拘束されることなく在宅のまま取調を受けているのであり、その任意性は証人小野田要夫の原審公判における証言によって十分認めうるところである。従って、原判決が掲記する各捜査官に対する供述調書については、いずれも任意性がありかつ真実性に富み、十分証拠として採用するに値するものと認められるのであって、これら証拠の証拠価値を云々する所論には賛同することができず、この点に関する所論も理由がないといわざるをえない。原判決には所論の事実誤認はなく、論旨はすべて理由がない。
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。